あの小説を読んで、中学生は感動するのかもしれない。
現に妹はいたく感動した様子で、僕に本を薦めてきた。
僕はあの小説を読んで、妹が思う感動は多分無かった。

ある種、冷めてしまっているから、
「だから、どうしたの?」と言う意見で終わってしまう自分も居るし。
だが、それでは本当はいけない。
例え小説でも、人の痛みは分からなければならない。
だから、僕は純な気持ちで感動出来る様な、心になりたいと思う。
時間がかかっても。

ただ一つだけ、小説を読んで感じた事がある。
と、言うより、疑問に残った事がある。

「あと半年の命です」と自分が言われるのと、
「あと半年の命です」と自分の大切な人が言われるのは、
どちらが辛いのであろう。

きっと、同じだけどちらも辛いのだと思う。
だが、どう辛いのだろう。
どう、違うのだろう。

もし、自分にどちらかの災難が来てしまったら、
僕はどちらを選びたいと思うのだろう。

今この瞬間に、
僕が死ぬと言われるのか、母親や妹が死ぬと言われるのか。
どちらも考えたくないし、考えられない。

きっと、答えは出ない。
同時に両方を体験する事も、きっと生涯無いであろう。

だけど、此の地球にはそう言う事にぶつかって嘆き、哀しみ、悶え、狂う人々が多々居る。

「死」や「自殺」を軽薄に記してはいけないと思うし、
軽薄に捉えても考えてもいけないと思う。
そして、軽薄に口にするのは無論いけないと思う。

最後に、
どんな事であれ、「自殺」と言う選択肢を選ぶのはいけないと僕は思っている。
そんな気持ちになって居る人がいけないワケでなく、
それを選んではいけない。
僕も一度自分の人生に「自殺」と言う選択肢を置いてしまったから、
その事の大きさが分かる。
そして、其処における自分の苦痛もよく分かる。

だが、「自殺したら楽になれる」と言う考え方自体が、
確証も無い、揺らぎやすい事だ。

それと、同情欲しさに「自殺」をしたい何て言う人は僕は許さない。
未来の選択肢として選ぶ人間の方がまだ全うだと思う。

生きたくても生きられない人が居る。
生きたくなくても、生きなければならない人が居る。
非情だが、それが現実だ。
「生きたい人の代わりに、ワタシが死ぬ」
と言っても、世界は変わらない。

もし、本当に自分が死ねる立場になったらどうする?
「生きたい」ときっと思う筈だ。

吐き捨ての様な文面で、申し訳無い。

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