少しだけ自分を。

2002年1月15日
分って欲しいと思う。
あたしの事を誰かにとか、
誰かが自分をもっと分る様にとか。
自分が自分をとか、全てね、全部の意味。

偉そうに自分を語れる程、生きていないし。
優劣を並べて、優位に立とうとは思わない。

腹が立つなら、やらなきゃいい。
やりたくないなら、放棄すりゃいいじゃん。
そこには論理も、価値観も無いだろう。
誰かに追い込まれているなんて言うのは言い訳。
自分がこう辛いから、やりたくないのも言い訳。

やりたくないんだろう?
やらなきゃいいじゃんかよ。
それにいちいち、誰かを納得させる為に、
さも正しいかの様に論理を並べて、分って貰えて。
一番納得したいのは自分だろう?

悪あがきはすんな。
みっともねぇ。
かっこわりぃよ、まぢで。

やりてーから、やる。
やりたくないから、やらない。

それが、結局は心理、だよ。

勿論、やりたくない事を出来る人も居るけど。

救われたいのは、自分自身だろう?
自分を救えるのは、でも結局自分しか居ないだろう?
どこかでそれに気付いてるから、
誰かに分って欲しいと思うだろう?

でも悪あがきすればする程、傷は深まったりするから。
なんも言わず、やりたい様に生きろ。

例えば親が自分を心配しても、
友達が自分を心配しても、じゃぁオレの人生お前が背負えるのか?って言ったら、背負えないだろう?

結局自分の人生を切り開くのは自分でしか無い訳じゃんか。

誰かがアドバイスしてくれても、それを実践するかは自分次第。

最近友達になった、お姉さんがいい事を言ってくれた。

「自分が誰かを助けてあげたくても、自分がその人の人生を背負える訳じゃないから。
その人の足元に、可能性を集めてあげる。
どれを選ぶかは、その人次第、それ以上自分には踏み込めない」

そうなんだよ。
例え、親でも、友達でも結局は他人だ。
価値観を押しつけられて、例えばそれを実行して、
自分の人生が失敗だったと感じる、少なくとも今までが。
でもそれを、
「お前があの時こう言ったから」
って言い訳は通らない。

だから、言い訳出来ないくらい、自分のしたい事をやれ。
諦める時は、自分を責める事くらいしか出来ない。
それくらい貫き通せ、自分の信念をまじで、信じるなら。
それくらい出来なきゃ、オレはオレを誇れない。

だからこそ。
やってやろーじゃんか。
みんなを笑わせるくらい、生きてやろうじゃんか。

それも、一つの覚悟だ。
誰も責められない人生を歩むのも、それはおっきい事だ。

だけど結局。
救われたいのは自分だ。
救えるのも自分だ。

誰かに手助けしてもらっても、自分を救えるのは自分だ。
それを、よく考えて。
その上で、やりたい様にやってみよう。

取り敢えず、好き勝手生きてみようじゃんか。
そしたら、きっと好きになれるさ。
自分の事も、みんなの事も、世界の事も。

あー、あたしってアホかもなー。

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